どんなこんなロシア
(留学白書)

〜 ロシア留学記 〜

 ロシア国立モスクワサーカス学校
 ロシアサーカス学校の寮
 ロシアサーカス事情
● photo in ロシア

「ロシアはとてもとても寒い国、だからウォッカを飲んでワイワイしている」ただそんなイメージだけでロシアのモスクワに留学。
もう過去のことだけど、この珍道中ですこしはロシアを感じて下さい。

<学校> ロシア国立モスクワサーカス学校
僕は'98.1月〜'99.3月に1回目留学。
ビザの手続きミスで3ヶ月しかいられなく、もう一度チャレンジ。
しっかり手続きをして'98.11月〜'99.6月までの8ヶ月留学しました。
学校はパッと見、古い建物ですが、中に入るとサーカスリングはあるは、トレーニング場、バレエ教室10室くらいの教室とすごくいろいろあってびっくり。本来、学校は4年生で1学年20人くらい。でも、サーカス以外に歌や楽器、マジックのクラスもあるので生徒は全体で200人くらいいると思います。しかし、最新設備はない。そこがいい。
授業はアクロバット、ジャグリング、クラウニング、バレエ、タップ、ロシア語とたくさん。日本にいる時何もしていないので、ほとんどイチからやらないといけないこの情けなさ。
僕以外にも外国人(スウェーデン、デンマーク、フランス)が10人くらいいたので、バレエ・タップは合同で習いました。
〜アクロバット〜
アクロバットは、安全ベルトをつけていきなり、バック宙、バック転。ベルトをつけているといっても最初は恐くて恐くて、なかなか飛ぶことが出来ませんでした。慣れてきて飛べるようになると、手のつき方、顔のあげ方、手のふり方と次々言われ、思っていた以上に難しく、何回も何回も先生に同じ事を注意されました。「頭では分かってるけど、できないんだよ!」という思いで、くやし泣きをよくしました。
〜バレエ〜
バレエは外国人全員で習ってました。とても若い先生でやる気満々という感じの人でした。しかし、そのやる気が空回りぎみでテンポ速く、どんどん進むし、休憩はないし、みんなから非難ブーブー。ある日、頭にきたデンマーク人が「ファックユー!」と言って、教室を出て行ってしまいました。その日以来、少しずつ人が減っていき、ついに2週間後、僕もやめてしまい、バレエの授業がなくなってしまいました。「良いアーティストになる為にはバレエが必要だ」とロシア人は必須なのに・・・。
〜タップ〜
タップはとても興味を持っていたのですが、どこで習っていいのか分からず、日本ではやっていませんでした。サーカス学校でも僕は最初、タップの授業は入っていなかったのですが、バレエをやめたことで時間が空いたので、タップを無理に入れてもらいました。先生のサーシャがとても良い方で、ロシアには短い期間しか僕がいないと知ると、授業以外でも空いている時間に教えてくれ、練習曲をくれたり、自分のステップをビデオに撮って、「日本に帰ってけらは、これで勉強しなさい。」とくれました。
タップはとても基礎が大切で、そう簡単には出来ないものですが、先生の情熱に感謝します。
〜クラウニング〜
クラウニングを習いに行ったと言っても過言ではありません。クラウニングとは、道化師の動きといいましょうか、僕は道化師の基本になるもとだと考えています。教えていただいたレフ先生は30年以上サーカスで働いた69歳の方です。歩いているだけで「あっ、この人道化師だ。」と思う人でした。とても言葉では言い表しにくいのですが、僕の頭の中に”いい道化師”のイメージがある。レフ先生の教えてくれる事、言う事、ギャグ、心得などまさにイメージどおり。すばらしい先生に出会ったと思い、素直に従えたし、この人の様になりたいと思いました。授業は最初、お客を見る練習。サーカスリングに出てきてゆっくり客席を見る、速くても遅くてもダメ。丁度良い間をみつける。「何かをするから道化師ではない。出て来た時から道化師なんだよ。」と言われた。
いろいろなギャグ作品も考えました。サーカスの演目の途中に出て来るので、5分程度の長さのものです。新聞を使ったものや、帽子、手袋、ボールなどあります。でも動きがぎこちなかったり、ギャグの面白さが分からず、先生と言い合ったりしました。イライラしていて、よく帽子やボールを壁に投げつけました。その度に「道化師はジェントルマンでなければいけないよ」と言われました。

(右・私の師匠レフ先生、左レフ先生の奥様)
〜ジャグリング〜
ジャグリングもレフ先生に習いました。周りのジャグラーが7個、8個もジャグリングしていて、驚きとショックで自分もがんばろうと思い、先生に「5個練習おしえて!」とお願いすると、「なぜ、5個する必要がある。3個でも面白く見せられる。」と言われました。これが授業のテーマになり、ずっと3個ボールでした。面白くみせるというのは難しく、未だに出来ていません。トホホ...。
<寮>
学校から2〜3分の所に、味もそっけもない建物の寮があります。寮といいながら、生徒のほかに先生や、なぜか普通の家族まで住んでいました。しかし、入り口には、ちゃんと管理人というか、警備の人がいました。いや、就きました。なぜなら、僕が着いて1週間の間で、地下で自殺があったり、マフィアのケンカがあったりで寮は大変だったのです。
トイレ、台所、シャワーは共同でした。
部屋
部屋は机とベッド、古いクローゼットしかなく広さは10畳くらいありました。屋内は意外と暖房がしっかりしていて、日本の春くらいの格好で大丈夫でした。しかし、油断するとすぐマイナス20度くらいになっていて、夜はコートを着て寝ても、寒い日もあり、部屋の中で凍え死ぬんじゃないかと思った日もありました。
トイレ
汚くて、座れたもんじゃありませんでした。しかし、1・2回ならともかく、ここで暮らすとだんだん慣れていて、平気で座ってました。トイレットペーパーも硬く、また流すことが出来なくて、便器の横にあるゴミ箱に捨ててました。これには抵抗があったので、外国製のいいトイレットペーパーを買って、便器に流してました。
台所
ここも驚くほど汚く、ガスコンロの上にゴキブリがいるくらいでした。でも、外食するほどお金もないので、作るしかないのですが、フライパン1つと鍋1つしか持っていかなかったので、焼くか、煮るしか出来なく、2ヶ月で10キロやせました。(まぁ少し太っていたので普通になっただけですが...)
シャワー
なんと男女共同だったので、女性が使っている時は使えず、ひたすら待つのみ...。しかし、次から次に女性が来て「ちょっと待ってよ、僕に入らせてよ。」なんてロシア語で言えないので、1時間や2時間待つことはざらにありました。それでいて、お湯が出たり、出なかったりで最悪。風呂がとても恋しかったです。
<ロシアサーカス事情>
以前はサーカス学校を出れば100%の就職率だったそうです。
しかし、今は卒業生(20組位)のうち1割〜2割が就職できればいい方だと言っていました。
しかも、ロシア国内のサーカスにお金がない為、良いアーティストがどんどん外国のサーカスに行ってしまう傾向にあり、深刻な問題になっているそうです。
サーカスでなくても、レストランや舞台などでも仕事はあるので、ジャグラーやハンドアクロバット、フラフープのような人は働けても、綱渡りや空中ブランコの人たちは、道具や場所の広さの問題で仕事が無いようです。


HOMEへ戻る

プロフィール ロシア留学記 体験記 見学記 仕事依頼 写真館 LINK集

[禁写真無断転載]
このページで使用している写真は、各パフォーマーの権利に帰属するものであり、私の営利のために載せているものではありません。
無断転用、転載は一切ご遠慮下さい。